本谷有希子インタビュー

劇団、本谷有希子の新作『甘え』をもっと楽しむための前フリ企画 本谷有希子 緊急インタビュー敢行!

「夜這い」や「不道徳」といったキーワードが不穏な空気を醸す、劇団、本谷有希子の新作『甘え』。だが、そうしたモチーフを通じて本谷が成し遂げようとしているのは、観客の価値観を揺さぶり、「常識」の概念を変えてしまうことにこそある。そこには、「深いエンタメ」を目指す彼女の決意と覚悟が見え隠れしているのだった。
(聞き手:土佐有明)

――本谷さんの舞台は、キャラクター先行で作っていく時と、物語や設定先行で作っていく時がありますが、今回は?

本谷今回は設定ですね。「夜這い」っていう設定をどう料理しようかなっていうところから始まりました。以前、知り合いと話していた時に、「今でも夜這いの文化がそのまま残っているところがあるんですよ」っていう話を聞いて、「おもしろいですね! それ、次の芝居のネタにしてもいいですか?」って。

――今でも夜這いの風習が残っている村ってありますよね。そういう村を舞台に土着的な話にする、という選択肢もあったと思うんですが。

本谷全然ありましたね。でも、私がそういう村の話を書いてもなあ……と思って。どうせだったら、自分なりの解釈で夜這いという設定を使った芝居を書けないかな、と。ちょうど不道徳というか、ダーティーな芝居が書きたいなあと思っていたので、夜這いの話は面白いなって。

――不道徳なものを書きたいっていう衝動は、どこから来たんでしょうね?

本谷自分の中に、誰かを遠慮なしに傷つけたいっていう衝動があるみたいなんですよ。でも、普段の私が日常的に人を傷つけたり貶めているわけじゃない。そんなことしたら自分に自己嫌悪が跳ね返ってくるだけですしね。でも、お芝居とか小説の中でだったら、登場人物を自由に傷つけられるじゃないですか。それをやっていないと、私の刀が鈍るから……。

――刀が鈍る?

本谷そう。実際に人が痛がってるところを見たくないから使わないんですけど、そうするとどんどん刃が丸くなっていく。でも、私の刀は本当は良く斬れるはずだ!って、切れ味を試したくなる時があるんです(笑)。いつも峰打ちばかりしているから、たまには思いっきり人を斬っておかなきゃ、みたいな(笑)。もちろん、現実でやったら迷惑がかかるし、自分の胸も痛むけど、劇の中でだったら許される。役者さんたちだって、ある意味、斬ったり斬られたりするために舞台に出てきているわけだし。やっぱり、たまに斬っておかないと錆びるんですよー。刀が(笑)。

――錆びてもいいじゃないですか(笑)。

本谷いやいやいやいや。それは困ります、困るんです(笑)。

――ああ、刀の切れ味が作品の鋭さにも関わってくる?

本谷うん、そうだと思います。

――確かに、今回は割とへヴィに暴力を描いてますよね。

本谷それは役者の身体がそうさせた、というのもありますね。例えば、私は大河内さんの身体に惚れて出演をお願いしたんですけど、あの方は、本当に暴力振るいそうな感じがある(笑)。演劇を観ていて、いかにも暴力振るいそうな人って意外に出てこないけど、大河内さんは身体がもう、ぶん殴る身体してるから(笑)。

――確かに、チーマーとかヤンキーとは違う威圧感がありますよね。

本谷そうそう、本当のヤクザみたいな重厚感がある。だから、大河内さんと小池さんの身体を観て、このふたりを親子にしたらさぞかし面白いだろうなって。しかも、円形劇場だから、ふたりの荒々しいやりとりの迫力がお客さんにもダイレクトに伝わるはずなんですよ。

――キャスティングや設定に、身体先行の部分があったと。

本谷そう、演技と違って身体は嘘つかないですから。最近よく言ってるんですよ。「カラダ、嘘つかない」って(笑)。

観た人の価値観を2時間かけて変える、「深いエンタメ」をやりたい

――本谷さん、今回の舞台を語るキーワードとして、「不道徳」と「夜這い」の他に、「深いエンタメ」という形容を使われてますよね。劇団、本谷有希子の前作『来来来来来』の時も、「エンタメをやりたい」とは話してましたが、そこに今回、“深い”が付いたのは?

本谷「浅いエンタメ最悪!」って思ったのもあるんですが(笑)、要するに人間の深い部分が描きたくなってきたんでしょうね。しかも、さらっと冗談を言ってるようで、よくよく考えると深い意味が含まれている、みたいな見せ方がしたかった。

――今振り返って、『来来来来来』は本谷さんの中では“深い”エンタメではなかった?

本谷“深い”ではなかったかも。例えば、主人公が頭を撫でてもらって頑張れるとか、割と誰でも思い当たる感情を書いたなっていうのがあって。でも、今回は観ている人の価値観が変わるようなことがしたかった。最後の場面だけ観ると唐突だけど、最初から物語を追っていくとその終わり方に納得が行くように作られている。つまり、最後の“とんでもないこと”を良しとする価値観を、2時間かけてお客さんにも植え付けられないか、と。それが出来たら「深いエンタメ」なんじゃないの?って。

――確かに、観る前と観た後でものの見方とか価値観が揺らいだり、変わったりしそうですよね。「あ、こういう考え方もアリなの……!?」って。

本谷そうそう。やっぱり、観る前と観た後でちょっとだけ価値観が変わって劇場を出てもらえるって、文化とか芸術の最高の楽しみだと思うし、武器だと思うんですよ。自分の中になかった価値観が芽生えたりとか、知らなかったことが分かるようになったりとか。今回は、真正面からそこを狙って行こうと思って。だから、「深いエンタメ」っていう言葉を使ったのは、自分が作品を作る上でのスタンスの表明でもあるんです。

――コラムニストのナンシー関が生前、「マイナーだから面白いというテーゼが曲者である。マイナーで面白いものもあれば、マイナーでつまらないものやメジャーで面白いものもある。どちらかといえば、メジャーでスタンダードなものの中におかしみを見つけて観賞するのが好きなのだ」と書いてるんです。この「メジャーでスタンダードなものの中に…」っていうくだり、「深いエンタメ」の話に近くありません?

本谷ああー、そうですね。それに近いかも。私も昔、面白い芸術と面白くない芸術ってなんだろう?って考えていたことがあって……。いちばんいいのは、深くて笑える。これが1位。浅くて笑えるのが2位。浅くて笑えないのが3位。「笑い」と「深い」が両立するのがいちばんいいんだけど、笑えるから深いとは限らない。でも、深ければ笑えるし面白いものになるはずなんですよ。深くてつまらないって、ないんじゃない?って。んんん。ああ……なんか、こんがらがってきた(笑)。

――「深くてつまらないものはない」ですか。例えば、思わせぶりだけど退屈な前衛映画とかは……。

本谷それは深くないんですよ、きっと。人間の深いところをちゃんと描いていれば、面白くなるはずだと思っていて。深いまま笑えるっていうのが、エンタメの理想ですね、うん。

――今話したようなことが念頭にあると、戯曲の書き方も変わってきますよね?

本谷「深いエンタメ」を書くにあたって、自分の中でタブーだったことを解いてもいいんじゃない?って思い始めましたね。例えば、舞台上での殺人なんて馬鹿馬鹿しくて書けないやって以前は思ってたんですよ。演劇って、マチネ(昼の部)の舞台で死んだはずの役者がソワレ(夜の部)では普通に演技しているわけで、それって恥ずかいししらけちゃう。そこは自分の中で、どうしても越えられない一線だったんです。でも、もうそろそろいいや、嘘ついちゃえ!と最近は思えてきて。要するに、エンタメをやるなら包容力がないとダメだなと思ったんです。それに、色々小説を読んだり映画を観ていると、ベタなことをやっていても面白いものは面白いんですよ。タランティーノなんかもそうですけど、ひとくちに殺人って言っても、殺し方、殺され方によっていくらでも新鮮で面白いものになり得る。そういう成功例を知ったら、自分もできるんじゃないかって思ったんですね。

――例えば、近親相姦とか親殺しって、演劇としては手垢にまみれたテーマですよね。でも、見せ方、演出の工夫によってはやりようがあるのかも。

本谷そうそう。昔からあるオーソドックスなテーマを扱っていても、本当にちょっとしたことで見え方が変わるなと思って。意図的にギャップのある演出をする。そうすれば、古典的なテーマも見せ方の余地は色々あるなあって。それこそ演出家の腕の見せ所だと思ってますね。

今回は、吉本菜穂子さんに「甘え」られない!

――ところで、02年の『石川県伍参市』以来、本谷さん作・演出のすべての舞台に出演してきた吉本菜穂子さんが、今回はキャスティングされていません。劇団、本谷有希子が専属の役者を抱えない理由のひとつは、マンネリを回避することもでもあるので、決して不思議ではないんですが、「あれ? 今回は出てない?」と思う人もいるかもしれませんね。

本谷このお芝居のタイトルとリンクする話なんですけど、どうしても私が彼女に“甘え”ちゃうから(笑)。よしもっちゃんがいると、演出家として半人前でも現場がなんとかなっちゃうんですよ。本谷は本谷のままでいいというか、失敗が許されるという空気になってしまう。演出で訳の分からないことを言っていても、「本谷、いつもああだからさ~」って彼女が許してくれちゃうから。でも、そういう人がいないと、現場の空気が違うんですよ。良い意味でも悪い意味でも緊張感が生まれる(笑)。

――演出の意図をより明瞭に伝える工夫も必要になってきますよね。

本谷そうそう。だから、私がちゃんとしなきゃって思えるんです。よしもっちゃんがいると、曖昧な伝え方でもなんとなく伝わっただろうっていう気になっちゃう。例えば、冗談なのか本気なのか分からないようなことも、彼女だったら「これは冗談だな」とか察知してくれるんですけど、今回はそうはいかない。「冗談ですけどね!」ってちゃんと付け加えないと、冗談だって分かってもらえないんです。だから今回は、“甘え”ず、私のことを知らない役者さんに、いち演出家として真正面から向き合って稽古をしていますね。